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東京高等裁判所 昭和55年(ネ)2945号 判決 1983年9月05日

控訴人 甲野花子

右訴訟代理人弁護士 木村昇

被控訴人 乙山春夫

右訴訟代理人弁護士 瑞慶山茂

同 小関傳六

同 中嶋親志

主文

原判決を取り消す。

被控訴人は控訴人に対し

一  別紙物件目録記載(一)の土地につき千葉地方法務局松戸支局昭和五一年四月一九日受付第一七一一三号による甲野花子持分全部移転登記

二  同目録記載(二)の土地につき同法務局支局同日受付第一七一一四号による甲野花子持分全部移転仮登記及び同法務局支局同年八月七日受付第三三七五九号による所有権移転登記(甲野花子の持分全部移転登記)

三  同目録記載(三)ないし(七)の建物につき同法務局支局昭和五一年八月七日受付第三三七五八号による甲野花子持分全部移転登記

の各抹消登記手続をせよ。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  控訴人

主文と同旨の判決

二  被控訴人

控訴棄却の判決

第二当事者の主張

一  控訴人の請求原因

1  控訴人は、別紙物件目録記載(一)ないし(七)の土地及び建物(以下本件土地・建物という。)について持分六分の一の所有(共有)権を有する。

2  しかるに、いずれも被控訴人名義に、同目録記載(一)の土地につき千葉地方法務局松戸支局昭和五一年四月一九日受付第一七一一三号による同年二月二七日売買を原因とする甲野花子持分全部移転登記、同目録記載(二)の土地につき同法務局支局同年四月一九日受付第一七一一四号による同年二月二七日売買を原因とする甲野花子持分全部移転仮登記及び同法務局支局同年八月七日受付第三三七五九号による右売買を原因とする持分六分の一の所有権移転登記、同目録記載(三)ないし(七)の建物につき同法務局支局昭和五一年八月七日受付第三三七五八号による同年二月二七日売買を原因とする甲野花子持分全部移転登記がそれぞれ経由されている。

3  控訴人は被控訴人に対し本件土地・建物の共有持分を売り渡した事実はなく、前項の各登記は真実の権利関係に符合しないものであるから、控訴人は被控訴人に対し右各登記の抹消登記手続を求める。

二  被控訴人の答弁

請求原因1及び2の事実は認めるが、同3の主張は争う。

三  被控訴人の抗弁

1  被控訴人は、昭和五一年二月二七日控訴人から本件土地・建物についての六分の一の共有持分全部を買い受けた。

2  右契約時、その代金は三五〇万円の約定であったが、被控訴人は同年六月一一日控訴人の代理人である訴外丙川太郎との間で右代金を五五〇万円に増額する旨合意した。

そして、右代金は次のとおり完済された。

(一) 被控訴人は、控訴人に対し昭和五〇年八月頃から翌五一年二月頃までに八回に分けて合計二三〇万円を期限の定めなく貸し付けていたが、同年二月二七日控訴人に対し右貸金債権二三〇万円と本件売買代金の内金債務とを対当額で相殺する旨意思表示し、仮にそうではないとしても、同日控訴人との間で右貸金債権をもって右代金債務の内金弁済とする旨代物弁済契約をした。

(二) 被控訴人は控訴人に対し、同日七〇万円、同年五月九日頃二〇万円、同月一三日頃三〇万円を支払った。

(三) 被控訴人は、昭和四七年頃丙川太郎に対し期限の定めなく三〇〇万円を貸し付けていたが、昭和五一年六月一一日、控訴人の代理人であると太郎との間で同人の承諾のうえ、右貸金債権のうち二〇〇万円分を控訴人に譲渡し、これをもって増額後の本件売買代金債務二〇〇万円の弁済に充当する旨の代物弁済契約をなし、仮にそうではないとしても、控訴人の代理人である太郎は、被控訴人に対し同日、控訴人が太郎の被控訴人に対する前記借受金債務について二〇〇万円の限度で、重畳的に債務引受する旨約定したうえ、即時、被控訴人は控訴人の代理人である太郎に対し、右引受債務と右増額代金債務とを対当額で相殺する旨意思表示した。

3  したがって、控訴人の本件土地・建物についての共有持分は全部被控訴人に移転しており、本件各登記はいずれも真実の権利関係に符合しているから、控訴人の本訴請求は理由がない。

四  控訴人の答弁

被控訴人の抗弁事実はすべて否認する。

五  控訴人の再抗弁

仮に、被控訴人主張の売買契約が成立したとしても、右契約は次のとおりの理由により無効である。すなわち、

1  控訴人は、丙川太郎と昭和五〇年五月婚姻したが、同人は競馬法違反等の犯罪により同年七月一日から翌五一年五月一一日仮出所するまでの間黒羽刑務所に服役した。被控訴人は昭和五〇年八月頃、控訴人に対し二日酔いに効く薬と称して覚せい剤を注射し、抗拒不能に乗じて姦淫を遂げ、その後も、太郎が仮出所するまでの間頻繁に、控訴人方(当時千葉県松戸市大金平所在のアパートに居住)を訪れて同人に覚せい剤を注射したり、情交を重ねるなどしていた。被控訴人は、昭和五〇年九月頃、控訴人がその父丁原松夫の死亡により母丁原松子と共に本件土地・建物を相続していることを聞知し、翌五一年三月末頃、覚せい剤の施用により正常な判断力を失い、クラブ・ホステスとして稼働することができず、勤務も辞めていた控訴人に対し、「これまでお前を面倒みたのも、お前に覚せい剤を注射したのも全部貸になっている。その総額は二七〇万円になる。」「太郎が出所する前に遺産相続の手続をした方がよい。相続分を被控訴人に売却した旨の契約書を作れば、控訴人の母丁原松子から相続分を早く分けてもらえる。」などと申し向けて、本件土地・建物の共有持分を被控訴人に譲渡することを控訴人に承諾させたものである。したがって、右売買契約は、被控訴人が控訴人の正常な判断力を失った状態や無思慮・窮迫に乗じて成立させ、しかも時価を相当に下回る廉価で右共有持分を取得し不当な利得を計る内容のものであるから、公の秩序又は善良の風俗に反し、民法九〇条によりその効果を生じない。

2  仮に、右主張が理由がないとしても、本件売買契約は、控訴人において真実は、本件土地・建物の共有持分を被控訴人に移転する意思がないのにもかかわらず、控訴人が右共有持分を迅速に取得しうるとの被控訴人の言葉を信じたがゆえに締結されたものであり、契約の要素に錯誤があったから無効である。

六  被控訴人の答弁

控訴人の再抗弁のうち、控訴人がその主張の頃丙川太郎と婚姻し、同人が控訴人主張の期間その主張の罪により黒羽刑務所に服役したこと、被控訴人太郎がの服役中控訴人と二回肉体関係を持ったこと(ただし、合意のうえである。)は認めるが、その余の事実は否認する。

第三証拠関係《省略》

理由

一  請求原因1及び2の事実は当事者間に争いがない。

二  そこで被控訴人主張の抗弁事実について検討するに、《証拠省略》によれば、被控訴人は控訴人との間に昭和五一年二月二七日頃、本件土地・建物の共有持分六分の一について代金三五〇万円と定めて売買契約を締結したことが認められ(る。)《証拠判断省略》

三  次に、控訴人主張の再抗弁1の事実について検討する。

1  控訴人が丙川太郎と昭和五〇年五月婚姻したが、同人は競馬法違反等の犯罪により同年七月一日から翌五一年五月一一日仮出所するまでの間黒羽刑務所に服役したことは当事者間に争いがなく、《証拠省略》を総合すれば、次の事実を認めることができ(る。)《証拠判断省略》

(一)  控訴人は、昭和二六年一月二五日松戸市で農業を営む丁原松夫・丁原松子夫婦の長女として出生し、地元の中学校を卒業後は一時工員などをしたこともあったが、主としてキャバレーやクラブのホステスとして勤務し、太郎と婚姻後も継続して同市小根元のクラブ「○○」に勤めていた。他方、被控訴人は、東京都葛飾区亀有で金融・債権取立等を業としていた昭和四七年頃、太郎をその手伝として一年間位雇用したこともあり、同人の保釈保証金を立替えてやったり、時折当座の生活資金を貸し付けるなどして同人と極めて親しい間柄にあり、控訴人とも昭和四九年頃クラブ「○○」に太郎と共に遊びに行ったとき以来知り合っていた。

(二)  被控訴人は、太郎が服役後の昭和五〇年八月頃、松戸市大金平のアパートに一人で住んでいた控訴人を訪れて、同人と昵懇となった。やがて控訴人は、覚せい剤注射の経験のあった被控訴人にすすめられて同人に注射をしてもらうようになったが、その覚せい剤はすべて被控訴人が控訴人の許に持ち込んだものであって、一時は控訴人も幻覚症状を呈するまでになり、またそのころから控訴人と被控訴人との間には屡々情交関係がもたれるようになった。控訴人は、覚せい剤注射のために健康を害したことも原因で同年一二月末頃前記クラブを辞め、その際被控訴人は控訴人の同店に対する前借金一〇万円位の支払金を工面してやり、翌五一年一月からは同人に毎月約五万円の生活費を手渡し、その生活の面倒をみながら、情交も重ね、このような生活は太郎が仮出所するまで続いた。

(三)  被控訴人は、その間において、控訴人が本件土地・建物を父松夫(昭和四八年二月七日死亡)から母松子らと共に相続取得していることを聞知したが、かねて控訴人の生活の面倒をみていることや、覚せい剤注射の費用も自分が負担していることから、被控訴人において控訴人の本件土地・建物の共有持分を取得しようと考え、控訴人が経済的に困窮し、不動産についての法律的知識に乏しく、かつ、被控訴人と太郎との間の貸金関係についても詳しい情を知らないうえ、覚せい剤注射によって精神の平静を失った状態にあったのに乗じて、控訴人に対し「お前の覚せい剤の注射代や太郎に対する貸金二〇〇万円もあわせてお前達には三五〇万円の貸金がある。」「相続の手続を放っておくと一〇〇〇万円位の相続税を取られる。母松子らからお前の相続分をもらってやるから、このような契約書を作った方がよい。」などと申し向けて、昭和五〇年二月二七日頃、控訴人方において同人に対し、市販の売買契約書用紙に、本件土地・建物についての控訴人の共有持分を代金三五〇万円で被控訴人に売り渡す旨等の所要事項を書き込ませて署名押印させ、右売買契約書を作成させたうえ、その後、本件各登記申請に必要な関係書類を調達させたり、右申請委任状に署名・押印させたりして、司法書士に依頼して本件各登記手続をした。

2  被控訴人は、控訴人に対し昭和五〇年八月頃から翌五一年二月頃までに八回に分けて合計二三〇万円を期限の定めなく、貸し付け、また、残代金一二〇万円について昭和五〇年二月二七日七〇万円、同年五月九日頃二〇万円、同月一三日頃三〇万円を控訴人に支払ったと主張し、原審(第一回)及び当審において被控訴人本人はこれに副う供述をするが、右供述部分は前掲原審及び当審における控訴人本人の供述に対比してにわかに措信することができず、ほかに右主張を肯認するに足りる的確な証拠はない。また、被控訴人は、昭和四七年頃丙川太郎に対し期限の定めなく三〇〇万円を貸し付けていたと主張し、原審(第一、二回)及び当審において被控訴人本人はこれに副う供述をするが、右供述部分は《証拠省略》に対比してにわかに措信することができず、《証拠省略》によれば、昭和五二年四月頃、被控訴人がすでに控訴人から持分移転登記を受けていた本件土地建物について丁原松子外三名を相手方として千葉地方裁判所松戸支部に提起していた共有物分割請求訴訟(同庁昭和五二年(ワ)第一〇三号事件)を被控訴人に有利に進行させるための資料として太郎に依頼して実体関係とはかかわりなしに作成させたものであることが認められるから、右甲第四号証は被控訴人の右主張を肯認するに足りる証拠とはならず、ほかに右主張を肯認するに足りる的確な証拠はなく、かえって、《証拠省略》によれば、昭和五〇年七月の太郎の服役当時までに、被控訴人が立替えた太郎の保釈保証金も被控訴人に返戻され、そのほかの太郎の借受金もすべて弁済されて同人の被控訴人に対する借受金債務はなかったことが認められる。

3  右1及び2の各事実に徴すれば、本件売買契約は、被控訴人が控訴人の法律的な無知及び経済的な窮乏、さらには覚せい剤注射により精神の平静が失なわれた状態に乗じて、自分が太郎の服役中控訴人の生活の面倒をみている優越的・庇護者的な立場にあるのを利用して、本件土地・建物についての同人の共有持分を不当に取得しようとして同人との間で締結されたものと認められ、しかも、前認定のとおり被控訴人が控訴人に生活資金などとして手交した金員はせいぜい数十万円にとどまり、同人に注射した覚せい剤の費用は不法原因給付であるから、同人に対し法律上返還を請求することができない性質のものであり、また、当時、被控訴人の太郎に対する貸金債権は存在しなかったのであるから、被控訴人が控訴人に対し弄した前認定の言辞は真実に反するものであったといわざるをえない。

そうすると、本件売買契約は、その内容、目的、動機、締結方法において、公の秩序又は善良の風俗に反すると認められるから民法九〇条によりその効果を生じないというべきである。したがって、控訴人の再抗弁1の主張は理由がある。

四  よって、本件土地・建物の右共有持分は被控訴人に移転していないものというべく被控訴人名義の本件各登記はいずれも実体上の権利関係に符合しない無効な登記というべきであるから、その各抹消登記手続を求める控訴人の本訴請求はすべて理由があり、これを認容すべきである。それゆえ、右結論と異なる原判決は失当であるから、これを取り消し、控訴人の本訴請求を全部認容することとし、訴訟費用の負担について、民訴法九六条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 森綱郎 裁判官 藤原康志 片岡安夫)

<以下省略>

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